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沖縄の歴史を知る【本土復帰と交通事情】


沖縄の歴史について語っていきます(^^)

沖縄が本土復帰したのは1972年となりますが、それまでの米国施政権下では、日本と異なる政策がいくつかありました。その1つが交通ルールです。

アメリカは右側通行なので、沖縄県内も同様に右側通行が数十年続きました。
本来なら、復帰に併せて左側通行に変更すべきところ、混乱防止の為に猶予期間を設け、6年後の1978年7月30日に実施されることになりました。

県内の数千箇所の標識や道路標示、信号機などを全て変える必要がありますが、切替は同日に全て行わなければなりません。

そこで様々な工夫が施されますが、皆さんは思いつくものがありますか?



………



早速答えですが、


まず、標識と信号機に関しては、全て反対車線側に同様の物を予め設置して、それに「730車は左へ」と書かれたカバーをかけました。当日は、既存の標識にそれをかけ直し、後日に撤去する算段です。
そして、新しい道路標示については、熱で固着するカバーで覆い、当日にバーナーで剥がし取る方法が考案されました。

施行日直前の7月29日の22時、全ての道路を遮断し、全国から動員された数千名の警察官、業者等が一斉に作業にあたりました。

一方、道路だけでなく、車両自体にも様々な影響があり、公共交通機関側も着々と準備をすすめていました。

特にバスは、乗降口が右側にあったので、そのままだと車道側から乗り降りすることになり、事故を誘発しかねません。
そこで県内のバスは、全ての車両が切り替えられることになりました。併せて、バスの運転手も右ハンドルで左通行の練習をしましたが、会社敷地内を一周した程度で、実質は、ぶっつけ本番に近いものだったようです。

いよいよ施行日の7月30日の午前6時。

前日の22時から8時間かけての作業は、多少の混乱はありながらも無事、切り替えに至ったのでした。