沖縄の歴史を知る【大衆編】
2022年は、沖縄が1972年に本土復帰してから50年目となります。
復帰に関する制度的なお話を書いてきましたが、生活に関わる状況についても記載します。
ちなみにトップ画像は、北谷町の瑞慶覧にあるキャンプフォスターの米軍消防署のNFT。モデルの消防署は、基地の外にあるので、誰でも見ることができます。一応、NFTは販売もしていますよ。
○ 失業保険(雇用保険の失業等給付)
失業保険(雇用保険の失業等給付)は、働き方等によって、対象となる人の区分があります。会社員などの一般労働者、海の監視員や杜氏などの季節労働、65歳以上の高齢者等々。
その中でも沖縄の雇用保険の種別には、特殊なものがあります。
それは「沖縄失業者求職手帳」保持者というもの。
雇用主が米軍人家族等で、「メイド」「シッター」「ハウスキーパー」の職種が多いようです。給付日数が多いのが特徴のようです。特措法関係のようで、普通に仕事をしていて目にするものではありません。
〇 幼稚園
小学校の敷地内に併設が多いです。園長が小学校の校長と兼ねている場合もあります。統治下時代の米国式。
保育園→幼稚園→小学校のパターン。
ちなみに中部地区の保育園では、基地内のPreschoolの子ども達と交流する所もあります(コロナで途絶えてるようです)
○ 歯磨き粉
おじぃもおばぁも「コルゲート」の呼称一択。アメリカ製。最も普及していたはず。
〇 マヨネーズ
キューピーではなく、「エゴー」。アメリカ製。酸味があって、好みは別れます。
〇 牛乳サイズ
1Lではなく、946mlとなっています。理由はあります。
なぜだか分かりますかね^^
〇 ツナ缶
Tuna.「トゥーナー」と発音します。
初めて祖母から買うようにお願いされた時は、プリンタートナーの事だと勘違いしました。
以上になります。
なお、復帰までの米国法令の適用によって、沖縄と本土の制度的な差異は、良い面も悪い面も生み出していますが、この点はまた後日。
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