沖縄の歴史を知る【本土復帰と通貨変更①】
沖縄の歴史について語っていきます。
別の日のブログで、沖縄の本土復帰に伴う「車の左側通行への変更」を書きましたが、今回は法定通貨切替の話です。
戦後に米軍の施政権下に入った沖縄は、復帰までに5回も通貨の切り替えが行われました。
大別すると、「B円」から「$」、「$」から「円」と変わっていきます。
【B円】
B円とは、B型軍票と呼ばれる軍用手票のことで、終戦から1958年頃まで、沖縄県での法定通貨となりました。
1950年頃、交換レートは、円に対してB円は3倍の価値と定められ(実際はもう少し下振れした模様)、本土からの資材等の購入や経費の支払に充てられました。
安価で購入された輸入品は県民の生活を支えましたが、反面、製造業から輸入品の販売業に転換・従事する者が増加。
県内の産業構成は、今日でも第三次産業の割合が最も大きく、製造業が少なくなっていますが、その一因と言われています。
【$】
1958年、琉球列島米国民政府高等弁務官は布令第14号により、B円を$と通貨交換する事を決めました。
ちなみにこの高等弁務官は、米軍の中将クラスが任命され、琉球政府職員の罷免権、裁判官の任命権、立法の拒否権等、絶大な権限を持っていました。
続けて余談ですが、最後の高等弁務官ジェームス・B・ランパートは、比較的穏健な施政でした(日本政府から叙勲されています)。他方、米軍に影響が及ぶような事態には「我々がジャングル(沖縄)の掟に従う必要はない」と公言した記録が残っています。腹立たしい〜!
1950年に出された沖縄統治の基本方針「琉球列島米国民政府に関する指令」には「軍事的必要の許す範囲においてのみ自治を促進する」となってますから、当該弁務官の発言は、それを端的に表してる印象です。
【円】
長くなる話なので、また改めて書きたいと思います。
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