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沖縄の歴史を知る【本土復帰と法令】

沖縄の歴史を知る【本土復帰と法令】

米軍統治下の沖縄の歴史を語っていきます(^^) 

本土復帰と法令

米国の施政権下にあった沖縄は、米国大統領行政命令や米国民政府による布告・布令・指令、琉球政府立法などによって、規律されていました。

本土復帰に先立ち、日本政府や琉球政府は、沖縄に日本の法令を適用するための様々な調査を実施します。

そして、琉球政府の企画局企画部は、1970年6月に『本土法適用に関する準備措置』を作成しました。
これは、日本の法令や沖縄の法令を併記し、沖縄に適用するに際しての基本的な考え方をまとめたものです。

その中で、法令について、どのような措置を講ずるかをD〜Hに区分しました。
例えば、Dは特に問題なく適用出来る「即時適用」、Hは判断し難い「保留」としています。
*その他、沖縄において適用される形式が、法律なのか政令、省令等なのかも整理されました。

当時の沖縄の最低賃金法において、船員の月額は43$とされ、F区分の「暫定措置」となっています。

先に書いた「右側通行から左側通行への変更」も同様にF区分となっており、返還から6年後の1978年に適用されています。

ちなみに日本国憲法は、区分が空欄となっています。

日本に帰る、祖国に帰ること、その最高法規は当然、適用されると認識していたのでした。

*余談
この年、初めての国政参加選挙が行われ、実に25年振りに国政に県選出の国会議員を送り出す事になりました。
当選した国会議員の中には、現沖縄北方担当大臣の父親である「西銘順治」、高等弁務官と対立して、那覇市長時代に市の預金凍結をされ、最終的に被選挙権を剥奪された「瀬長亀次郎」等がいました。