沖縄の歴史を知る【統治機構編】
沖縄の歴史について語ります。
当時の統治機構は複雑でした。
1つは米国民政府。
正式には「琉球列島米国民政府」と言い、米軍が沖縄に設けた統治機構です。
米国民政府は「米国民政府裁判所」を有し、必要であれば、裁判権を行使する事も出来ました。
初代の民政長官は、あのマッカーサー元帥が兼務し、後に高等弁務官が最高責任者となりました。
もう1つは、琉球政府。
1952年に先の米国民政府の下部組織として、沖縄に設けられました。
一応、三権はありましたが、米国民政府から命令を受ける立場にあり、また、米国民政府によって、各施策が破棄されることもありました。
この複雑な統治関係は、様々な紛争を生じさせます。
○1963年の「サンマ裁判」
可笑しな名称ですが、米国民政府の布令による課税品目外であったサンマなどへの課税について、「玉城ウシ」という女性の商売人が無効を主張して提訴したのです。
琉球上訴裁判所は、ウシの主張を認め、課税を無効としましたが、高等弁務官は直ちに当該布令を改正し、判決を得ていない徴税は返納しないとしました。
これを受け、別の事業者も政府に対して、租税平等主義に反し、財産権を侵害していると提訴。
巡回裁判所(地裁のようなもの)では、改正を無効としましたが、高等弁務官は、上級裁判所の審理を前に行政命令を発動。米国民政裁判所に審理を移管しました。
結果は、事業者の敗訴となりました。
高等弁務官キャラウェイは「自治は神話」と同時期に発言していますが、まさにそれを体現しているような出来事でした。
しかし、この判決は、米民政府への抗議運動を引き起こします。
沖縄県民の自治意識や祖国復帰の機運は日増しに高まっていったのでした。
*追記
キャラウェイは「GoldenGateClub」という米国留学者団体の定例会の席上にて、先の発言をしました。
金門クラブとも呼ばれるこの団体のメンバーは、政府や金融、電力、放送、大学等で重職に就きましたが(故・太田知事、川平慈英やジョン・カビラの父の川平朝清など)、ある種、沖縄のパワーエリート達でした。
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